振り返るための読書法・メモ(1)

インプット法

1 選ぶ すなわちインプットしない範囲を知る

インプットの必要性とその限度

確実に人間の脳よりコンピュータの方がインプット効率、インプット容量、処理速度は速い。あらゆるインプット能力がコンピュータに置き換えてもいいと思える中、人間がインプットする必要性、意味はあるのか。

アウトプットのため、考えるという行為が人間の優位ともいえるが、人工知能の観点からいえば、前述の優位性は保てない。またはインプット情報のサーチ能力。

インプットは量が多ければ多いほどいいようにも思える。しかし、人としての活動期間に限度があるようにインプット量にも限界がある。そうすると、インプットする内容をある程度選ぶ必要が出てくる。そのためインプットする情報を選ぶために、「何をインプットしないか」ということも念頭に置く必要がある。

選ぶことは体系的な知識を得る範囲を暫定的に定めること。

モノを記憶するための手段としての系統樹思考

本の内容を単に読むではなく、ある程度の理解はできておいたほうがよいと思い、日本語論理に関する本のインプットを進め、少しずつ効果が出たような気がした。

 

系統樹はさまざまなもの(生物・無生物)を系譜に沿って体系的に理解するための手段です。系統樹思考とは、そのような体系的理解をしようとする思考態度であると定義できます。 三中信宏系統樹思考の世界』p25-26

 

最近、生き物を「目」レベルで覚えてみようと試みて、自然と体系的なインプットが持続的な記憶に結び付くと実感。その体系はチャンクとよんでいいものと思うが、過去に読んだ(が、十分な理解には至らなかった)本のメインテーマとうまくリンクする。今なら『系統樹思考の世界』を、以前より理解できそうな気がする。

 

 

 

『積読こそが完全な読書術である』の引用メモ

今のところそこまで熱心に読んでいるわけではないが、なんとなく大事そうな本について。位置づけは『読んでいない本について堂々と語る方法』に近い。

 

結局のところ「本を読むための方法」は「いかに本を読まないか」ということであり、「読書」は「積読」の一部でしかない

永田希『積読こそが完全な読書術である』p5

 

「いかに読まないか」は、選ぶ読書法として自分では意識している。読まない=選ばない、という意味で。

 

 

 

ナンシー関(武田砂鉄・編)『ナンシー関の耳大全77』を読んでひと言

読んで笑えるのは前提知識を要し、今後の風化を懸念する。

 

 

読解テクネーに関するメモ

高校レベルの現代文問題を解いて読解能力の土台を固めていきたいと考えているが、土台固めの脇道にそれているのではないか、と時々調整するように読解法に関する文献をチェックする。

文章を読むというのは、どこも同じ調子で読んでいけばいいわけじゃなくて、こういう重要なところとそうでないところを見分ける必要があるらしい。そして、どの言葉や文が重要かそうでないかは、ちゃんと理由があって、見分けるためのサインもあるらしい。 読書猿『独学大全』p687

 

じゃあ、一つひとつの文を理解するには何をすればいいか。まずどの文にも、主語と述語があるからそれをつかむ。しかし日本語の文だと修飾語に重点がある場合があるらしい。例えば「人間は考えることにおいて尊い」という分の主語は「人間は」、述語は「尊い」だけど、重点は「考えることにおいて」にあるという。重要なことは形を変えても繰り返されるので、「人間は疑うことにおいて尊い」というのが他に出てくれば、この「疑うこと」は先の「考えること」の言い換えだとわかる。むしろ、この「疑う」は先の「考える」に引き寄せて理解しないといけないんだと。 読書猿『独学大全』p690

 

いずれも、遠藤・渡辺『現代文解釈の基礎』を参考に述べている。

現在解いている現代文の問題集・参考書でも同様のことが書かれていたので、少し安心。

 

 

カモノハシ

複数の本を並行して読むことが多い。そうするきっかけは、成毛眞『本は10冊同時に読め!』の影響であったかどうかは、もう記憶にない。

 

読み終わった、三中信宏『読書とは何か』にて、

ウンベルト・エーコ記号論書『カントとカモノハシ』(エーコ 2003)の主役はオーストラリアの川に生息するカモノハシという奇妙な動物だ。エーコはこう書いている。

 

 カモノハシは、あらゆる分類の試み―科学的であれ通俗的であれ―に挑戦するために生まれてきたような不思議な動物だ。(エーコ 2003,上巻,p.88)

 

くちばしがあって前足には水かきがあり卵で生まれるのに幼獣は母乳で育つという尋常ではない生き物であったとしても、カモノハシは確かに地球上に実在する。にもかかわらず、そのカモノハシを分類することは長らく困難だった。分類に用いられる特徴の選び方によって、カモノハシは「鳥」だったり「哺乳類」だったり分け方がころころ変わってしまうからだ。(三中 2022,154-155)

 

とあり、結局カモノハシは鳥なのか哺乳類なのかと迷ったが、ちょうど同日に読み終えた川上和人『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』の文庫版にて、カモノハシが(本文ではなく)注釈で説明されていたことを思い出す。

 

カモノハシ

オーストラリアにすむ哺乳類。哺乳類ではあるが、卵を産む、くちばしがあるなどかなり変わっている。水辺にくらし、小動物を食べる。(川上 2018(2013),255)

 

哺乳類であることを確認でき、尋常でない変わった生き物であることを確認する(というより、カモノハシという奇妙な「動物」とある時点で哺乳類だと気づけばよかった)。

 

思い返すと、カモノハシが哺乳類であることは『小学館の図鑑NEO 動物』で最近見たのだった。そのおかげなのか、同日に読み終わった2冊の本が「カモノハシ」で結びついた。紐帯の弱さよ。的外れな結びつきのため、早々に忘れてしまうおそれがあるのでとりあえず記録。

 

さらに思い返し、本棚から久しぶりに取り出した三中信宏『分類思考の世界』にて

「カモノハシ問題」の責任を、カモノハシのせいにしてはいけない。(三中 2009,p49)

の箇所に波線を引いてあったことに気づく。『分類思考の世界』46-49ページにて、より充実したカモノハシ情報を得る。